このシリーズの題名を「オートマチックステップ名鑑」としなかったのは、一時的にオートマチックステップで打っていた打者や、オートマチックステップであるかどうか微妙な打者も加える事によって、逆にオートマチックステップの本質的な部分、そしてそのイメージを明確に掴んでもらいたかったためである。もちろん、明確に「違う」と言える打者を加えるつもりは無い。その意味では「名鑑」と言っても差し支えが無いが。。
カントゥは、その意味ではまだ明確にオートマチックステップに分類出来るレベルだが、それでもオープンスタンスからのオートマチックステップは「亜種」と言った感が強い。
試してみれば素人レベルでも解る事だと思うが、オープンスタンスからオートマチックステップをすると、前脚はホームベース方向に踏み込まれる。これは、オープンスタンスの場合、構えた時点で、頭から前足着地点を結ぶラインがホームベース方向に前傾する事になるためだ。このバランスのため、始動して前脚が外れると、ステップはホームベース方向に踏み込む事になる。しかし、問題は、そのステップの運動の方向性が腰をクローズに閉める円運動のベクトルになるため、腰をオープンに開く上下逆回転捻りの動きと逆になり、結果的にタスキラインが、割れのシーンで緩みやすい。
ホルヘ・カントゥはデビュー当時はスクエアスタンスだったが、その後オープンスタンスにして、スイングが少し大人しくなってしまった。踏み込む時に、タスキラインが緩んでしまう事が良く解るフォームだ。
上記の動画では、後半に横からの映像が有るが、見ると、始動のタイミングが良く解る。揺らぎながら前脚で足踏みし、その反動で後ろ脚に体重移動しながら、前足を爪先立ちにしつつ、そのあたりから始動している。したがって、前足が動き始めるのが早く、ステップの動きにも時間がかかるので解りにくいが、オートマチックステップには違い無い。
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話をカントゥと言う打者に戻したい。
JORGEと書いてホルヘと読ませるラテン名の選手はホルヘ・ポサダなど、他にもいる。
日本風に言うなら「野球の申し子」とでも言うべき野球センスに溢れた打者(ポジションは2塁手および3塁手)で、2004年にメジャーデビューすると、50試合出場し、173打数52安打の打率0.301を記録し、将来を大いに期待された。続く2005年はセカンドのレギュラーの座を掴み、打率0.286 本塁打28本 打点117と言うセカンドとしては破格の成績を挙げて、地位を固めたかに見えた。
しかし、2006年の春から雲行きが怪しくなる。WBCのメキシコ代表として出場したあたりが、最後の絶頂期だったのかもしれない。2006年のWBCで、レフトスタンドに大きなホームランを放ち、それを見た掛布雅之が、「うわっ」と唸ったその声まで鮮明に記憶している。そのくらいのスイングを当時はしていた。
しかし、その後、開幕4戦目で自打球を足にあて、その後も無理して出場し続けた事で状態が悪化し、成績を大きく落とす。
その後は、2008年に、打率0.277 本塁打29 打点95を記録し、完全復活したかに見えたが、翌2009年、打率0.289 本塁打16 打点100を記録したのを最後に、その後は再び低迷する。
動画は2010年、マーリンズ時代。
WBCには、2009年、2013年と出場し続け、メキシコ代表の顔となったが、現在はメジャーリーグでは無くメキシカンリーグで活躍している。
惜しい選手だった。直接的には自打球を当てた事が原因かもしれないが、WBCの疲労も関係していたかもしれない。メジャーの選手がWBCの出場を敬遠する理由は、こうした所にある。
これが、NPBで活躍する選手なら、WBCで潰れても、日本代表に選ばれること自体や、さらにそこで活躍して記憶に残った方がメリットの大きい選手はいるだろう。しかし、MLBだとそうはいかない。そういう意味で、サッカーのワールドカップと野球のWBCは違う。カントゥも、もし、あの怪我が無ければ、間違い無くMLB史上でも屈指の攻撃型2塁手としての地位を築いたはずである
動画は2013年のWBCでのシーン。
それでも、通算成績 打率0.271 本塁打104 は堂々たる成績だ。
風貌と、打撃フォームが、カルロス・ポンセ(元大洋)にソックリな選手だった。まだ31歳と若いので、メジャーリーグ復活を期待したい。
カントゥは、その意味ではまだ明確にオートマチックステップに分類出来るレベルだが、それでもオープンスタンスからのオートマチックステップは「亜種」と言った感が強い。
試してみれば素人レベルでも解る事だと思うが、オープンスタンスからオートマチックステップをすると、前脚はホームベース方向に踏み込まれる。これは、オープンスタンスの場合、構えた時点で、頭から前足着地点を結ぶラインがホームベース方向に前傾する事になるためだ。このバランスのため、始動して前脚が外れると、ステップはホームベース方向に踏み込む事になる。しかし、問題は、そのステップの運動の方向性が腰をクローズに閉める円運動のベクトルになるため、腰をオープンに開く上下逆回転捻りの動きと逆になり、結果的にタスキラインが、割れのシーンで緩みやすい。
ホルヘ・カントゥはデビュー当時はスクエアスタンスだったが、その後オープンスタンスにして、スイングが少し大人しくなってしまった。踏み込む時に、タスキラインが緩んでしまう事が良く解るフォームだ。
上記の動画では、後半に横からの映像が有るが、見ると、始動のタイミングが良く解る。揺らぎながら前脚で足踏みし、その反動で後ろ脚に体重移動しながら、前足を爪先立ちにしつつ、そのあたりから始動している。したがって、前足が動き始めるのが早く、ステップの動きにも時間がかかるので解りにくいが、オートマチックステップには違い無い。
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話をカントゥと言う打者に戻したい。
JORGEと書いてホルヘと読ませるラテン名の選手はホルヘ・ポサダなど、他にもいる。
日本風に言うなら「野球の申し子」とでも言うべき野球センスに溢れた打者(ポジションは2塁手および3塁手)で、2004年にメジャーデビューすると、50試合出場し、173打数52安打の打率0.301を記録し、将来を大いに期待された。続く2005年はセカンドのレギュラーの座を掴み、打率0.286 本塁打28本 打点117と言うセカンドとしては破格の成績を挙げて、地位を固めたかに見えた。
しかし、2006年の春から雲行きが怪しくなる。WBCのメキシコ代表として出場したあたりが、最後の絶頂期だったのかもしれない。2006年のWBCで、レフトスタンドに大きなホームランを放ち、それを見た掛布雅之が、「うわっ」と唸ったその声まで鮮明に記憶している。そのくらいのスイングを当時はしていた。
しかし、その後、開幕4戦目で自打球を足にあて、その後も無理して出場し続けた事で状態が悪化し、成績を大きく落とす。
その後は、2008年に、打率0.277 本塁打29 打点95を記録し、完全復活したかに見えたが、翌2009年、打率0.289 本塁打16 打点100を記録したのを最後に、その後は再び低迷する。
動画は2010年、マーリンズ時代。
WBCには、2009年、2013年と出場し続け、メキシコ代表の顔となったが、現在はメジャーリーグでは無くメキシカンリーグで活躍している。
惜しい選手だった。直接的には自打球を当てた事が原因かもしれないが、WBCの疲労も関係していたかもしれない。メジャーの選手がWBCの出場を敬遠する理由は、こうした所にある。
これが、NPBで活躍する選手なら、WBCで潰れても、日本代表に選ばれること自体や、さらにそこで活躍して記憶に残った方がメリットの大きい選手はいるだろう。しかし、MLBだとそうはいかない。そういう意味で、サッカーのワールドカップと野球のWBCは違う。カントゥも、もし、あの怪我が無ければ、間違い無くMLB史上でも屈指の攻撃型2塁手としての地位を築いたはずである
動画は2013年のWBCでのシーン。
それでも、通算成績 打率0.271 本塁打104 は堂々たる成績だ。
風貌と、打撃フォームが、カルロス・ポンセ(元大洋)にソックリな選手だった。まだ31歳と若いので、メジャーリーグ復活を期待したい。
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