2015年4月28日火曜日

「日本的」野球センス



 野球センスアップを看板とするAXIS.LABの石川 繁之によるレクチャー動画だが、脱力してボールに働く重力や慣性力を利用する事をテーマとしているように見える。このクニャクニャの動きこそが(特に)近年の日本球界に定着しつつある「センス」の概念を象徴的に表現している。

 イチローを見ても、石川 繁之と同じセンスを持っている事が解る。というか、イチローが表現している「センス」が石川 繁之の言う「センス」の大きなモチーフになっていると思われる。



 野球部のキャッチボールを見ても、このタイプの「センス」を体現しているような動きをする子が多い。「ゆる」の高岡英夫や「力感が無いのが良い」と言う二軸理論発の風潮、そして「筋肉ではなく骨を使え」という古武術系論者の発言が、こうした風潮を作って来た。タイツ先生の理論や手塚一志なども大きく関与している。

 もちろん、間違いとは言わない。これはこれで一つのセンスだ。そして野球部員にはこの種のセンスすら持ち合わせていない子が結構、多い。そういう子等にとっては石川 繁之のような指導は一つのステップアップとなるだろう。

 だが、エチェバリアのプレーを見てほしい。あまりしなっていないのが解るだろうか。

 

 もちろん「しなり」を否定する気は毛頭ない。しなりは野球選手にとって非常に重要な能力だ。しかし、もう一段上のレベルに行くと、そのしなりを「必要最低限だけ」使う。体幹が動くからだ。体幹で生み出した波動を末端に効果的に伝達するためには過度なしなりはむしろ邪魔になる。末節部を「ある程度」体幹にロックさせた上で、体幹と末節が連動する状態を作る必要がある為だ。その「ロック」が効いた上で「しなる」。これこそが最上級の身体の使い方だ。「しなり」を「これみよがしに」使っているうちはまだ二流だと言う事だ。悪いとは言わないが、野球センスが進化する過程の一段階に過ぎない。

 日本人の場合は体幹の動きが悪い。そのため末節を過剰にしならせて使う事で動きの波動を生み出そうとする傾向が有る。そして、この事が「日本人の長所はしなやかさだ」という一般的な論調につながっている。しかし、黒人も白人も柔らかい選手は柔らかい。「しなやかさでは日本人も負けていない」というのが正解である。