ベースボール・パフォーマンスラボでは、古い日本野球から解き放たれた、新しいシンキングベースボールを提唱します。古い日本野球を斬り、その「反動」としてのアバンギャルドな「新しい」野球の潮流も斬ります。その両方を斬って始めて「古い日本野球」から解き放たれたと言えるためです。
なお、野球ではプレー毎に状況が異なり、そこで取られる戦略も状況事に異なって来ます。ですから、
ここでのテーマはそうした様々な状況における判断の基となる「思考」を提示する事であり、様々なテーマにおける絶対的な答えを提示することではありません。
それでは前置きはさておき、早速各論に入って行きましょう。
(1)「ゴロを打て」は本当に「古くて間違った指導」か
特に選手の力が無い高校野球までは「ゴロを打て」と言う指導がなされる事が多く、無理矢理にダウンスイングに矯正させられる事も有るようです。こうなると、スイングそのものが小さくなってしまい、その選手の可能性の芽を摘み取ってしまいかねません。そのため「ゴロを打てなんて古くて間違った教え方だ」と言う意見が今ではむしろ主流になっています。でも
「本当にそうなの?」と、ここで立ち止まって考えてみましょう。
野球と言うゲームは、攻撃側が一つでも前の塁にランナーを進めて、その結果としての得点数を競うゲームです。そして、フライが挙っている間、ランナーは前の塁に進む事が出来ません。ですから、犠牲フライが求められる場面と一発狙いが許される場面を除き、極力フライを打ち上げない方が、攻撃側には有利なのです。
次に、守備側の視線で考えてみると、フライは落ちて来る球を取れば終わりですが、ゴロの場合、ゴロを捕球してから一塁手などにボールを送球しなければ、アウトを取る事が出来ません。つまりショートゴロを例に考えると「ショートが正確にゴロを捕球し」「正確に一塁に送球し」「一塁手が正確に捕球する」と言う3つの行程を経なければならないわけです。また、ゴロの場合、グラウンドのコンディションによって打球のバウンドが変化する事が多く、これも内野手のミスを誘発する原因です。
「相手のミスを狙うなんて姑息な野球だ」「そんな野球では上のレベルで通用しない」と言う声が聞こえて来そうですが、果たしてそうでしょうか。相手のミスも含めて、少しでも勝ちに繋がる可能性の高い手段を選択する事はスポーツ戦略の基本です。これはボールにジェルを塗ったりする反則とは明らかに異なりますし、隠し球に代表されるトリックプレーのような「野球の本質から外れた、場当たり的なその場限りの一発芸」とも異なります。極力フライを打ち上げないと言う事は、
野球と言う競技の本質に則った、攻撃側の行動指針の一つなのです。そしてメジャーリーグのレベルになると、打者が打つ打球も速いので、守備のレベルが高くても、やはりファンブルは起こりえます。
ですから、高校野球までの期間と言うのは、特に「フライを挙げるな」と言う事がやかましく言われる場合が多いのですが、ここで問題となるのは、その結果としてダウンスイングが教えられる事です。
この考えは戦略的な観点から見れば間違いでは無いのですが、野球の本質はそれだけでは有りません。
と言うよりも、もっと大きな本質として打者と投手の勝負から全てが始まると言う事があるのです。そして、この場合、主眼は人間の身体運動と言う解剖学的、物理的な問題になって来ます。そして、そうした観点から見た場合、ボールを上から叩き付けるダウンスイングと言う物は、あまり上等なものでは無いのです。つまり、そうしたスイングでは、まず投手と打者の勝負に負けてしまいます。最も単純な説明では、地面と平行な軌道で飛んで来る投球に対して上から叩き付けると空振りの可能性が増えます。投手のレベルが向上している事を考えると、この視点も軽視出来ません。
また、野球は確率のスポーツなので、その場限りのパフォーマンスの事だけでは無く、良いパフォーマンスの発揮を持続する事を考えなくてはなりません。例えば低い打球を打てばヒットになりやすいからと言って、そうしたスイングを重ねてしまうと、スイングのメカニクス自体は悪くなってしまいます。
スイングのメカニクスと野球のゲームの性質は完全に切り離して考える必要があります。これが野球の技術論を考える時に最も難しい点であり、今までもシンキングベースボールに欠落していた視点なのです。つまり、野球と言う競技の特性を考えると低い打球を打った方が良いのですが、スイングメカニクスを考えると、そうした事は気にしない方が良い。そういう曖昧で複雑、一筋縄では行かない所も野球の面白さであり懐の深さなのです。
さらに、
打撃の基本はあくまでもジャストミートする事であり、その事に集中するためには「低い打球を打て」「角度を付けろ」「右に打て」等、気を散らせる要素は出来るだけ排除した方が良いのです。こうした考えは投手のレベルが高くなるにつれて重要になってきます。
では、この問題は、どこに答えを見出せば良いのでしょうか。ゴロでは内野の間は抜けても外野の間は抜きにくいので「ゴロを打て」はともかく「低い打球を打て」と言う考えに一理ある事は否定出来ません。しかし、問題は、そのためにダウンスイングを教えてしまう事です。所謂、ゴロを打つためのダウンスイングは解剖学的、物理的に見て間違ったスイングです。まして「文字通りのゴロ」にはダブルプレーを取られる危険性も有ります。
フライを挙げてもいけない。ダウンスイングもいけない。では、どうするか。答えは高めの特にボール球に手を出さないと言う事です。(もちろん、犠牲フライが望まれる場面や、一発狙いが許される場面では別です。)
高めのボール球に手を出して凡フライを打ち上げると言う事は、攻撃側の行動として初歩的なミスである事を、その理由も含めて選手にはよく説明しておかなけれななりません。指導者からすると当たり前のように思っている事でも、きちんと説明しなければ、その本当の意味は伝わらないでしょう。単に「フライを打ち上げるな!」と怒鳴るだけでは効果がありません。
特にバッテリーから見ると、低めに落ちる球で勝負して捕手が後逸するとランナーに進塁されるので、打者が高めの釣り球に手を出して空振りしたり凡フライを打ち上げてくれると非常に楽なのです。もちろん、低めの球をすくい挙げた凡フライは仕方が無い事です。
「高めのボール球に手を出さない」と聞いて「なんだ、そんな事か。」と思われる人が多いでしょう。しかも、実際には「高めのボール球を見極める」と言っても簡単な事ではありません。低めに落ちるスライダーやチェンジアップに戦々恐々としている所に高めに真っすぐが来ると、少々ボールでも打てそうに感じて手を出してしまいやすいのです。また、特に2ストライクでは見逃し三振を取られるよりは打って行った方が良いので、手を出してしまうケースが殆どです。凡フライはゲッツーが無いので、打ち取られるのも見逃し三振も結果は変わりませんから、これは当然否定出来ない行動です。そう考えると、この問題に対して、さほど効果的な答えを見出せたとも思えません。でも、良いんです。それで。重要な事は結論に至るまでに思考が有ると言う事です。その思考は、また様々な局面での様々な作戦に結びつくからです。
いずれにしても、ここらで一度「古い固定観念に縛られた日本的精神野球」とも「その跳ねっ返りとして、最近よく見られる開き直っただけの大味野球」ともオサラバしましょう。「新しいシンキング・ベースボール」の基礎に有るのは、そうした厄介な問題が起きる前に、
ドン・ブレイザーが南海の野村克也に伝授したシンキング・ベースボールです。そこに、その後の時代に発展した「科学的な技術論」や、実際に技術力が向上した近代野球の現実を考慮して、新しいシンキングベースボールを追求していこうではありませんか。そして、いわゆる「スモールベースボール」から解き放たれた「考える野球」の本来の面白さを追求していきましょう。
やや大袈裟な論調になってしまったかもしれません。しかし、そうした「丁度良い温度でのシンキング」はサッカーやバスケット等では当たり前のように出来ている事です。野球の場合は残念ながら「古い日本野球」が精神主義とも結びついたりして、あまりにもイビツに出来上がってしまったため、他の競技のように上手くいかなかったのです。
もちろん、私は個人技を専門とする立場上、その全てを網羅してテキストブックを作る程の手間をかけるわけにはいきません。しかし、その基本的なスタンスと、代表的な事象に対する考え方だけは、ここで示しておきたいと思います。
2)「正面で捕球し体で止めろ」は本当に「古くて間違った指導」か
まず、守備に対する基本の概念を考え直す必要があります。ゴロを体の正面で捕ることが基本だと言うのが、そもそも間違っています。脚を使って正面に入れと言うのも解らなくは無いですが、逆シングルや素手での捕球、ジャンピングスロー等と言ったプレーも試合で起こりえる以上、正面で捕る事と等しく基本なのです。ですから、遅くとも中学生くらいからは、これらのプレーを練習していかなければなりません。ノックの時に逆シングルで捕った選手に対して「脚を使って正面に入れ」では無く、逆シングル捕りを目的としたノックを練習しなければならないのです。日本の指導者は派手なプレー、華麗なプレーを嫌う傾向が有りますが、いかなる派手なプレーや華麗なプレーも、試合で起こりえる以上、正面捕りと同等に基本なのです。ですから「ファインプレーの練習」をしていかなければなりません。
様々な捕り方からの様々なステップを使ったスローイングを練習していくうちに、即興やオリジナルの独特の動きが出来るようになってくるでしょう。そうした積み重ねが海外の選手の独創的なプレーを生み出しているのであって、それは正面捕りを基本(でもケースによっては逆シングルも良いんだよ)と言う日本的な教え方からは生まれ得ないプレーです。例えばショートストップなら、ショートに起こりうる全ての捕球パターン、ステップを洗い出し、それらの動きを練習していく必要があるのです。
では逆シングルが重視される場合とはどういう場合でしょうか。ショートを例に考えてみます。1対1の同点で9回裏、その回の先頭打者がイチロータイプの俊足巧打の左打者だったとします。後にはクリンナップが控えていますから、絶対に塁には出したくありません。ここで三遊間にゴロが来たとしましょう。この場合、正面に入った結果としてファンブルし、体で止めても誰も褒めてはくれません。そもそも打者がイチローならレフトは前進しているでしょうし、イチローも一塁線を直線軌道で走り抜けていくわけですから、ゴロが飛んだ時点でレフトがバックアップに入れば2塁に進塁される事は無いでしょう。この場合、ショートは逆シングルで捕った方が体勢的に無理が無く、一塁への送球もしやすいと考えたら、積極的に逆シングルで捕りに行くべきです。このように、逆シングルや素手でのプレーも有効な使い道が有る限り、正面捕球と同等に基本プレーの一つなのです。ところが日本の場合、正面捕球を基本として、さらにその形を追求する事が基本練習だと考えているフシが有りますが、これでは世界レベルの内野手には追いつく事が出来ません。ただでさえ身体能力で負けている場合が多いのですから。
それでは正面での捕球が特に求められるシーンとはどういう状況でしょうか。サードを例に考えてみましょう。5対3で負けている3回表、1アウトでランナーは一塁にいます。ここで打席には右の強打者。レフトも深めに守っています。この状況で3塁種の右手、三塁線にやや強いゴロが飛んで来た場合はどうでしょう。2点差がついているとは言え、味方の打線も2回で3点取ってるのだから逆転の見込みは大です。この状況では、とにかくアウトを一つずつ丁寧に取って行きたいわけですから、ダブルプレーを焦る事は禁物です。しかも1アウトがツーアウトになるかならないかと言うのはビッグイニングを作るか否かの瀬戸際にいるわけですから、ここは何としてでも確実に2アウトにしなければなりません。この場合、3塁手は少々送球が遅れても正面に入り、確実にゴロを止めて3塁線を抜かれないようにしなければなりません。ここで逆シングルで取りに行って3塁線を抜かれてしまうと試合自体を潰しかねないからです。
逆シングルで取りに行った時の最大のリスクは何かと言うと、その一つは味方の士気に対する影響です。いくら華麗な守備が出来るショートでも、確実に一つアウトが欲しいところで逆シングルで取りに行って後ろに反らす事が有るような選手だと、味方の信頼が得られませんし、案の定、大事な所でエラーされると、そこから空気がダレてしまいビッグイニングにも繋がりかねません。捕手ならなおさらです。ですから、重要な事は、正面に入って確実に止めるべきシーンと、逆シングルで取りに行くべきシーンの区別を普段から野手陣が共通認識として持てるように練習の中で意識付けをしておく事です。選手自身が今のは何故正面に入ったか、何故逆シングルで取りに行ったのかと説明できなければなりません。そうした土壌が有ると、例え逆シングルで取りに行って後ろに逸らしても、空気が乱れる事は無いでしょう。
「やる気が無くなって手だけで取りに行った逆シングル」も「意図を持ってやった逆シングル」も形は同じなので、意志の疎通は重要になります。
理想を言えば、ケースノックの中で「なんで今のは逆シングルだったんだ」「○○だからです」と言ったコミュニケーションが取れる事です。
内野手が逆シングルで取るか正面で取るかは以下の3パターンに分けられます。「A:簡単に正面に入れる状況」「B:正面に入れるが逆シングルの方が自然な状況」「C:逆シングルでなければ間に合わない状況」Aは誰でも正面で取りますから、この場合、問題となるのはBの状況でしょう。この状況でどちらを選択するかは、その場面によって違います。逆シングルや素手での捕球も正面捕りと同等に基本であると認識した上で、無理をしてでも正面で捕球するべき状況が有る事を知っておかなければなりません。「正面捕りが基本と言うのは間違っている」と考える「進歩的」な指導者は得てしてこの事を忘れがちなので注意が必要です。正面に入るか逆シングルで捕るかが士気に与える影響、そして、それを考慮した上で普段から意志の疎通をはかり共通認識を持つ事の重要性を認識しておかなければなりません。
普段から「正面で捕球し体で止めろなんて、古くて間違った常識だよ」と言っている指導者だと、正面に入るべきシーンで逆シングルで捕りに行って後ろに逸らした選手に「今のは何で正面に入らなかったんだ」と言えません。そうなると、そのチームはそこで成長が止まってしまいます。
3)「投手は投げた後に守備に備えて打者に正対しろ」と言う教えに象徴される問題
日本では、どうも投手は投げた後に守備姿勢を取るために打者に正対しなければならないと考えられているようです。あるいは、投げた後に右投手が一塁方向に倒れ込むのは悪いフォームだとも考えられているようです。こうした考えはMLBにも有ったのだと思いますが、現在では一線級の殆どの投手が投げた後に倒れ込むため、そうした教えは実効力を失い、過去のものとなったのでは無いでしょうか。
投げた後に倒れ込むメジャーリーグの一線級の投手
実際、ブレーブスで投手王国を築き上げた有名な投手コーチであるレオ・マゾーニは、その著書「マダックス・スタイル」の中で「投げた後に正面を向けと言われる事も有るが、それで球の威力が失われたら本末転倒だ。投手の後ろには7人の野手がサポートしているのだから、投手は投げる事に専念するのが最も大切だ。守る事を考えるのはその後だ。」と言う意味の事を書いていました。
この事からも解るように、アメリカ球界でも投げた後に正面を向けと言う教えが有ったが、その教えが現実にそぐわなくなったため、そうした事は言われなくなって行ったのでしょう。
この問題には、まず前提となる議論があります。それは投球フォームとして倒れ込むのが正しいか否かと言う議論です。結論から言うと、倒れ込むのが正しいのですが、股関節伸展の力、つまりキック力が弱い日本人の特徴と、その条件をベースとして構築されて来た日本式投球フォームでは倒れ込みが起こりにくいのです。ですから、そうした日本式フォームを前提として考えると、倒れ込むと言う事は余程バランスが悪い事を意味するので、日本では倒れ込む事を否定する教え方が一般的になっているのです。
ただし、私の経験上、投げ方を変えれば日本人でも倒れ込み動作は簡単に出来ますし、実際に、日本のプロ野球でもそれに近い動きを見せる投手もいます。また、松坂大輔が高校に入学した時、倒れ込むクセが有ったので矯正したと言う話をテレビで観ましたが、そうした事からも解るように日本人でも本来は倒れ込むフォームは出来ますし、またこれからそういうフォームが増えて来るでしょう。それは高校野球を観ていても解ります。ただ問題は、そうしたフォームで投げている投手を感覚の古い指導者が潰してしまわないようにしなければならないということです。
いずれにしても、こうした問題はさておき、現実に倒れ込むフォームで投げる投手がいて、球威もそこそこ有る。その投手に倒れ込まないフォームで投げさせると球威が落ちる。このような場合、どうするべきかと言うのがここでの主題です。
野球と言う競技のシステムを考えると、投げた後に打者に正対した方が守備に入りやすい事は間違い有りません。しかし、そうしたルールやシステムとは別に、もっと大きな問題として「野球」と言うものは投手と打者の勝負から始まると言う事を忘れてはなりません。極端に言うと、投手と打者の対決だけでも「野球」は成り立つのです。守備がいなくても、投手と打者が対決している光景を我々は「野球」と見なします。しかし、投手と野手の対決が無ければどうでしょう。ピッチャーがピッチングマシンでバッターがロボットだったらどうでしょうか。この事からも解るように野球の最もコアにある本質は投手と打者の対決なのです。
そして、投手と打者の対決においては、ルールはワキ役で解剖学的、物理的な身体運動が主役です。ルールは、その対決をフェアにするためにサポートする存在に過ぎず、ルールによってパフォーマンスが束縛されるものでは有りません。
これまでの古いシンキングベースボールに欠けていた視点は「解剖学的、物理的な技術論」と「野球のシステム、ルールから導かれる戦術論」を分けて考えると言う視点です。つまり場面によって「技術論」が「戦術論」に優先されたり、「戦術論」が「技術論」に優先されるのですが、そうした優先順位をケースバイケースで、なぜそうなるのかと言う事をシンキングしなければなりません。一例を言うなら「ゴロを打つためにダウンスイングしろ」「守備姿勢を取るために投げた後は打者に正対しろ」と言うのは、「技術論」と「戦術論」がゴチャマゼになった古い時代のシンキングベースボールなのです。
4)スモールベースボールはグローバルスタンダードとなり得るか。
2013 年WBCでは、各国が二連覇した日本を見習い、見よう見まねでスモールベースボールらしき事をやってきました。しかし、私の見る限り結果は出ておらず、動くボールを捉えきれずに送りバントを失敗していたケースが多かったようです。
日本の高校野球でよく見られる送りバントを多用した攻撃。ツーアウトにしてまでランナーを二塁に進めようとする作戦。そこで監督が判で押したように口にする
「ウチには飛び抜けた選手がいないから、全員で繋いでいかなければいけない。」って、ちょっと待って下さい。ツーアウトにしてまで、ランナーを二塁にしたら、次の打者は確実にヒットを打たなければなりません。しかもツーアウトになった事で守備側は戦術的にも余裕が生まれ、それが投手にも有利に働いてしまいます。
こんな厳しい状況で確実にヒットを打てる選手。それは充分飛び抜けた選手では無いですか!いるじゃ無いですか充分に飛び抜けた選手が!。打力が弱いから送りバントに頼る。非常に矛盾した考えです。送りバントをするということは続く打者の打力を高く評価していると言う事なのです。
正直、私は送りバントを多用するチームを見ると、イラッときます。何故イラッと来るのか。それはアウトを一つ与えてでも次の打者が確実に打てると考えているその思い上がりに対してです。そして思い上がっている事にさえ気が付かない、その厚顔ぶりにイラッと来るのです。野球をナメているとしか言いようがありません。将棋を打つのとは違うのです。「いや、バントはギャンブルだよ」と言う監督もいるかもしれませんが、ギャンブルするなら打たせて行けば良いだけの事です。ツーストライクまで狙い球を絞るサインを出すなど、ギャンブルはいくらでもやり方が有ります。
ただ、現実問題として送りバントは高校野球で多用され続けるでしょう。高校野球までなら、投手のレベルもまだそれほど高くありませんから、バントもしやすいし、打者のレベルもまだそれほど高くないので、振るよりもバントした方が確実に当てる事が出来るからです。次の打者が凡打しようが、バントそのものが成功している限り、監督はバントのサインを出し続けるでしょう。
しかし、プロレベルで考えるとどうでしょうか。近年では、ムービングファストボールが増えていますが、この傾向はさらに加速していくでしょう。そうなると打者もバントを決める事は非常に困難になるはずです。ましてプロになるような選手は、高校時代は主軸打者である事がほとんどですから、バントが上手いはずは無いのです。そこに高校時代よりさらに磨きのかかった一流投手が出て来たら。。バントが決まるわけは有りません。これはバスターやエンドラン、右打ち等についても同じ事です。
つまり、小技を多用するスモールベースボールと言うのは、古い時代のシンキングベースボールなのです。前述したドン・ブレイザーの時代や、
ドジャーズの戦法の時代なら、有効であった戦術です。
タイ・カッブはその代表的な選手と言えるでしょう。ただ、そうした”古いシンキング”を否定するつもりは有りません。古いシンキングは新しいシンキングに活かされるからです。
そして、もちろん、プロでもそうした小技に特化された選手も存在し続けるでしょう。例えば1対1の引き分けで9回裏、0アウト1塁で右の2番打者に打順が回って来たとします。この場合、送りバントが決まってランナーが二塁に進めば、投手は一本のヒットも許されない状況になるので、配球にも制約がかかり厳しい立場に追い込まれます。さらに、仮に送りバントが失敗しても、1アウトで続くのは3番バッターと4番バッターです。右の2番打者(アベレージヒッター)なら、普通に打ってゲッツーのリスクも有りますし、また、打った後に捕手の前を横切る右打者ならバントが決まりやすいので、バントの上手い打者であれば、バントは有効な作戦になり得ます。ただし、投手のレベルが高い状況で確実に送りバントを決めるとなると、かなり送りバントが上手い川相昌弘のような選手でなければなりません。中途半端な選手にバントのサインを出すくらいなら、こうした選手を代打に出して、相手バッテリーを揺さぶって行く作戦を取るべきです。これからの野球は、役割に特化された選手と、そうした選手の用兵が重要になってくるでしょう。そこに「シンキング」を持ち込む余地が有ると考えます。
もちろん、少年野球や高校野球の監督はバントを教える必要があります。それは野球と言う競技について教える事も重要なテーマであるし、実際にその中から小技で生き残って行く選手が出て来る可能性もあるためです。しかし、送りバントが上手いからといってプロになれる事はありませんから、いくら目先の試合で勝ちたいからと言ってバントの練習に時間を割いたり、試合で多用するべきではありません。
そもそも、高校まで勉強する時間を削って、お金を払って子供に野球をやらせると言う事は親の立場としては子供をプロ野球選手にしたいと考えているわけですから、高校野球の監督は、そうした事を尊重しなければなりませんし、また部員がプロを目指していると見なすべきです。(そういう前提の元で練習メニュー等を決めるべきです。)
そこで、送りバントの練習に時間を割いたり、試合で多用すると言う事は、監督が甲子園出場等と言った自分の名誉を優先している事を意味します。少年野球や高校野球は単に勝てば良いと言うだけでは無く、選手育成の機関だと考えなければなりません。(もちろんそれだけでは有りませんが、甲子園に出る事が出来る実力校こそ、そう考えるべきです。)甲子園に何回出たかでは無く、何人プロに送り込んだかで、その監督の手腕が評価されるべきです。
いずれにしても、現代における送りバントやエンドランを多用する
「スモールベースボール」と言うものは「本来はプロを目指す育成機関である中学高校の野球」で「育成機関であるが故の弱み(発展途上であるが故の弱み)につけ込むスキマ産業」のように目先の勝ちを拾いに行く中でのみ効果を発揮する、日本野球ガラパゴス化の象徴のような存在になっています。高校野球の全国大会に大きなスポンサーがついて大々的に扱われるから、そのような事態になったのでしょう。
これからの野球では、投手の技術が発達し、ボールの動きも激しくなってくるので、そうした小技はますます通用しにくくなると予想されます。2013年のWBCで見られたスモールベースボールの流行は、そうした時代の移り変わりの中で行なわれた試行錯誤の一貫であって、その試行錯誤は失敗に終わると予想します。しかし、その事とは別にスモールベースボールを生み出したシンキングベースボールは評価されて、新しいシンキングベースボールに繋げていかなければなりません。
まぁしかし甲子園を見ていても、送りバントが多い事には呆れます。こんな野球をしていては甲子園では勝てても選手は育ちません。甲子園で堂々とバントのサインが出せると言う事は、それだけバントを練習して来たと言う事なのでしょうが、その時間は本当にバントに割いて良かったのか。もっと言えば、そのスペースと時間を控えの選手に与えてやるのが高校野球の本来の有り方のはずなのです。そうした控えの選手も大学で成長して社会人くらいまでは行ける可能性が有るからです。そして指導者となり、また新しい選手を育てる。そういう流れを作らなければなりません。まさかその間にブラスバンド部と一緒に応援の練習などをしていると言う事が無ければ良いのですが。いずれにしても、こんな野球は一刻も早く止めなければなりません。
高校野球のレギュラーが甲子園に出た事だけでローカル的にはスター扱いになるから「応援団」になる部員が出て来るのです。どちらも極端すぎてバカげた事です。
一方WBCで優勝したドミニカが、どういう野球を若い選手に教えているのか見てみましょう。
ドミニカン・プロスペクトリーグと言う組織のYOUTUBEチャンネルが参考になります。
DPL BASEBALL YOUTUBE チャンネル ここを見ると、ドミニカでどういう野球を教えているか一目瞭然で解ります。
ここには、投手が思い切り投げて、打者が思い切り打つ。野球の原点が有ります。打撃練習を見ても流し打ちの練習をしているような光景は見られません。もちろん、ここにシンキングを加えて行く事でさらにスリリングな野球になっていくのですが、そうした事はアメリカの方が進んでいそうですね。しかし、このドミニカ野球も、成長過程の選手にとっては日本野球よりは数段良いものです。
※)ちなみに打撃に関してはドミニカが振り回して来るのに対して、アメリカの方が正確性に重点を置いている事が解ります。一方、投球に関してはアメリカの方が大雑把と言うかオールドスタイルなのに対し、ドミニカの方がボールを動かすテクニックに長けていますね。これはペドロ・マルティネスの影響も有るでしょう。その流れに最近になってアメリカも追いついて来た模様です。いずれにしても、DPLの動画を見ると、ハンリー・ラミレスやロビンソン・カノーのような打者が育つ土壌と、ペドロ・マルティネスやフェルナンド・ロドニーのような投手が育つ土壌が良く解ります。
最後に私が高校野球の監督なら「バント」はどう扱うか。前述のようにバントの練習はさせます。しかし、基本的なスタンスとして、ココ一番大事な場面で自信を持ってバントのサインが出せるほどの練習はさせません。せいぜい打撃練習前の3~5球程度ですね。(やりたい選手の自主性は尊重します。)また、キャッチボール後のトスバッティング(ペッパー)を止めてバント練習にしても良いでしょう。いずれにしても失敗したときのベンチの落胆を考えると、バントもギャンブル、いやバントこそギャンブルなのです。高校野球なら3点ビハインドの中盤、無死ランナー1塁でもバントのサインが出る事が有りますが、本来ならここは勢いに乗って流れを掴みたいシーンなのです。バントをしなくてもランナーが揺さぶれば落ちる球を使いにくくなって(気持ちぶん甘くなって)打者が有利になったり、粘っているうちにワイルドピッチ等で走者が進塁出来るチャンスが有るかもしれません。そこで初球からバントに行って一球でポップフライを挙げてしまった時の事を考えると、これほど相手にとって楽な事は無いでしょう。仮に上手く決まったとしても、1アウト与えた事によって「アウトをひとつずつ丁寧に」と相手に強く思わせるだけです。特にプレーヤーが若ければ若い程、良いときは勢いに乗りますし、悪いときは動揺して自滅します。こうした「勢い」や「流れ」は確実に存在するものです。監督としてはそうした流れに水をさすべきではありません。
また、もっと言えば「勝負事はこれ全てギャンブルなり」と考えるべきです。手堅い手法が有る等と考える事が既に間違っているのです。ギャンブルであれば、失敗した時のリスクと成功した時のメリットは常に量りにかけなければなりません。「手堅くバントを決める」事を求められた打者は多かれ少なかれ緊張します。こうした場合では体を止めて使うバントよりも、思い切って振って行った方が緊張がほぐれると言うのも考え方の一つです。監督と言うのは、そうしたマイナス思考もしなければならない立場なのです。
ただ、試合においてバントには「あるぞ」と思わせる効果が有ります。その意味で「決まったらラッキー」と「あるぞと思わせる」と言う二つの狙いを持ってバントのサインを出す事は有るでしょう。サードにあるぞと思わせるだけで打者には有利になるためです。これがスモールベースボールでは無いシンキングベースボールにおける一つのバントの使い道です。そう考えると、セフティーやスクイズも含めて様々な使い道がありそうですね。バントについても全く無用の存在と言う事はありません。
確かに現状では高校野球において送りバントは威力を発揮しているのかもしれません。しかし、それは相手投手と相手守備の未熟さにつけ込んだ結果であると考えるべきです。
未熟さにつけ込む事は悪く有りませんが、そのための練習に時間を割くのはバカげた事です。送りバントの練習をすれば勝てるのだが、選手の将来の事を考えれば送りバントに時間を割くべきでは無いと言う事が解れば、送りバントの練習は短縮するべきなのです。しかし、高校野球では勝ちたいがために絶対的なエースに200球を越える球数を投げさせる事もままある事です。これも「勝ちたい」が「選手の将来を考える」に勝ってしまう悪い事例です。こうした無理な投球は監督としては立場上、絶対に止めなければなりません。
★まとめ
日本では高校野球で送りバントが蔓延してしまったせいで、考える野球がイコール「スモールベースボール」になってしまった感が有ります。そのため「考える野球」と言うと窮屈なイメージを持つ人が多いようです。また一方、スモールベースボールを学生時代に押し付けられてしまったせいか、その反動としてホームランを狙って行けと言う教え方をするような「進歩的」な指導者も増えて来ています。しかし、WBCを観ても解るように、結局最後は「一本のヒットが打てるか打てないか」という事に皆が手に汗を握る状況になるわけですから、普段からそのスタンスで練習していくべきなのです。
本来のシンキングベースボールはスモールベースボールでは有りません。そして一球ごとに間の有る野球においては「考えて、作戦を立てて、勝つ」と言う事は紛れも無く大きな醍醐味なのです。高校野球の負の側面であるスモールベースボールをここらで捨てて、もう一度、本場メジャーリーグ生まれのシンキングベースボールの原点に回帰しましょう。