2015年4月19日日曜日

真に「解りやすい理論」を求めて


(1)ビジュアルの重要性

 ある身体運動学の書籍には次のような一節が有る。

「両足を開かずにそろえて、抱く人の胴体に押しつけ、膝と腿の裏あたりから腕を回して抱っこする」と快適そうな顔をする赤ん坊も存在するのです。

 これを読んで、描写されている動作が正確にイメージできる人がいるだろうか。「たぶんコレの事だろう」というのは解るが、あまりにも舌足らずな文章だ。書籍には写真や挿絵は無い。身体運動理論の解説には図と写真によるアシストが必要不可欠であるが、それは書き手に表現者としての力量を要求する。この分野の書き手には多くの場合その資質が欠如しているので、実際の所、身体運動学系の本の殆どは読めたものでは無い。

(2)専門用語の重要性

 「股関節の外旋」などの専門用語を使う事を嫌う人がいる。「それでは選手に伝わらない」というのが彼らの言い分だ。しかし私は実際に小学生に対してもそうした用語を使って理解させて来た。そもそも、この程度で難しいと愚痴をこぼすような輩は始めからやる気が無いのだから甘やかすべきでは無い。
 
 また「専門用語の使用を嫌う人」が良くやる間違いが、例えば「倒す」とか「畳む」とかいった日常の用語に置き換えて表現する事だ。しかし、こうした表現はその人独自のローカルなものであるため、簡単にしているつもりが逆に問題をややこしくしてしまっている。

 専門用語を使う時にもっとも重要な事は、最初に使うときにその言葉の説明を丁寧にして理解させておく事である。そのプロセスを踏めば、専門用語の存在が却って相互間の意思疎通を容易にしてくれるだろう。

(3)「簡単な文章」では無く「やさしい解説」が重要

 技術論を簡単に説明しようとすると極短い文章で表記する事が出来る。しかしそれでは正確に理解させる事が難しいので、一部のセンスが有る選手しか、表現者の意図を汲み取る事が出来ないだろう。

「簡単な文章」は実は「不親切な説明」なのである。しかし、この事を理解できない人が多い。親切に説明しようとすると、ある程度文章は長くなるが、そうすると「難しい」という不満を漏らす人が多くなるのは残念な事だ。こういう人たちはそもそも国語力が無いのだろうが、さすがに私もそこまで面倒は見切れない。本当に熱心な人にとっては詳しい説明ほどありがたいので、私はそうした人たちを相手にしたい。

「難しい数式が出て来て、そうした知識が無いと理解できない文章」「図による解説が無くて理解できない文章」は駄目である。しかし「読めば理解できる詳しい解説」こそが本当の意味で「やさしい文章」であるのだ。私はこの「やさしい文章」を目指して行きたい。