2012年6月20日水曜日

黒人音楽と黒人のダンスと黒人の身体能力

黒人音楽と黒人のダンスと黒人の身体能力は繋がっています。音楽も身体運動の一種だからです。ただ、黒人音楽と言うのは日本人には取っ付きにくい部分が有るのも事実です。昔、ジェームズ•ブラウン(有名なので)のCDを買って、聞いてはみたものの、サッパリ良さが解らなかった記憶が有ります。ジェームズ•ブラウンほど黒人らしさを混じりっけ無く表現するタイプも珍しいので、今思うと理解できなかったのも仕方が無い事です。

黒人音楽特有の「起承転結が無く全編がクライマックス(後述)」な演奏の典型例(James Brown It's Too Funky In Here)


簡単に言えば、黒人の音楽は常に身体で感じる事を前提としているので、黄色人種や白人のような感傷的なメロディーで聞かせる音楽のジャンルは無いに等しいわけです。(ただ、実際には白人音楽と融合して、そういう聞かせ方をする曲や歌手もありますが。)

まず、リズムが有って、そこにボーカルや楽器をどう絡ませるかと言う事を黒人は楽しみます。これはジャズやヒップホップも同じです。ジャズとヒップホップはそういう意味では本質的には似た感じ方をさせる音楽なのです。

そこに歌物の場合は、コーラスとボーカルをどのように絡ませるかを楽しみます。これは久保田利伸が良くやります。次に演歌に似たコブシを効かせて、ボーカルを身体で感じさせます。ただ演歌と違い、歌手によっては全編がコブシと言う場合もあります。こういった全ての事をひっくるめて「グルーブ」と言うわけで、これは日本語に訳すと「ノリ」となります。

こうした感覚に慣れないと、黒人音楽は楽しめないわけで、リズムからボーカルまで全部ひっくるめて、身体で感じて表現するのが黒人流なわけです。そして、そうした黒人音楽特有のグルーブは黒人の身体運動(発声も含めて)を基礎として成り立っているので、そのグルーブ感を身体で表現する時に、最も黒人の身体運動の特徴が出て来るわけです。

因に、そうしたグルーブ感を表現するのに、明確で感傷的な(あるいはエモーショナルな)メロディーラインが邪魔になる事が有るので、黒人の歌はメロディーラインが見えにくい歌が多いのでしょう。

実際、スティービー•ワンダーのようにメロディー•メーカー的に思われている歌手や、マイケル•ジャクソンのようなポップスターの場合でも、良く聞いてみると黒人的なグルーブ感を表現する唱法に魅力が有ったりするのですが、メロディーラインが明確すぎると、そういうソウルフルなグルーブ感がワキ役に回ってしまう感が有ったりするわけです。

メロディーラインで聞かせる曲と言うのは、起承転結が有るので、一種のドラマのようなものですから、5分の曲のうち、最初の一分だけ聞いても楽しめませんが、グルーブで聞かせる曲の場合は、起承転結が無いので、言うなれば全てがクライマックスシーンのようなものです。そういう感じ方の違いもあります。だから、黒人の歌を聞いて、どこでクライマックスが来るのかなと思っていると、クライマックスが掴めないまま終わってしまう場合があるわけで、これは、黒人特有のグルーブ感を感じられていない証拠です。

コブシが効きまくりの「ソウルフルな歌い方」の典型例


上の動画のように、スローテンポで歌っているのでバラードかと思って聞いてしまうと、まったくメロディーラインが掴めないのですが、それはこういう黒人の歌は始めからメロディーで聞かせようと言うものでは無いからです。たぶん黒人音楽に馴染みの無い人なら「ハ?」となるでしょう。こういう歌はメロディーで聞くものでは無く、身体でグルーブを感じて聞くものです。強いて言えば、それが黒人流のバラードだと言う事です。

ジャズにしても、難解だと言われる場合が有りますが、起承転結で掴もうとするから難解になるわけで、グルーブ感を感じ取る感覚があれば、難解では無い場合が多いのです。こうした感覚は日本人や白人が馴染もうとすると時間がかかるかもしれませんが、黒人の場合は、恐らく天然でそうした感性を持っているのだと思います。

また、黒人の音楽で特徴的なのは、基本的に極端にアップテンポの曲は好まないと言う点です。彼らは基本的に体幹を使ってノリたいので、あまりアップテンポすぎると、身体が曲に追いつかないのです。ですから基本的には心臓のリズムくらいの曲を好みます。ジェームズ•ブラウンは速い曲が多いですが、それはサンバのような(カズダンスのような)ダンスを得意とする彼ならではなのかもしれません。

アップテンポと言っても大体このくらいになります。


ただ、身体のノリ的には90年代初期のNEW JACK SWING に比べるとHIP HOP では(パフォーマーに関しては)大人しくなった感があります。それは基本的にラップと言うのはしゃべりなので、ノリと言っても多分にボディーランゲージ的な意味合いが強く、つまり手先で意味を伝えようとするので体幹があまり動かなくなるためです。ただ、聞き手から見るとまた別で、基本的にラップといえども、黒人の場合は踊りながら聞きたいので、やはり速すぎるリズムは敬遠されるわけです。

一方、その音楽から派生したダンスは1980年代後半から音楽と独立して、盛んになりました。(盛んになった結果、音楽から独立してシーンが成立するようになった)ブレイクダンス、ロッキング、ポッピング、ニュージャック•スイング、ヒップホップ等のジャンルが有ります。盛んになった結果、音楽から独立して、コーラスやボーカル、その他の楽器演奏から生まれるグルーブを無くして、リズムだけ有ればダンスは出来ると言う事で、音楽とダンスの乖離が始まった気がします。

そうなってくると、黒人のダンスが競技会みたいな場で行われるようになり、雰囲気的にアメリカ特有のエアロビクス大会みたいな感じになってしまい、結果的に「黒人らしさ」つまり、ファンキーさ、ソウルフルさが無くなってきたわけです。肝心の音楽がないがしろにされているので、照明を落としてスポットライトを当てても、イマイチ雰囲気が出ません。そうなると、ダンスの動きに黒人の身体運動の特徴が表れてこないので、youtubeなどで、そういったダンスの動画を探しても、中々ファンキーさを感じさせるものが少ないのです。


と、言う事で、理想を言えば黒人の音楽にも馴染みが有った方が、身体運動の感覚も掴みやすいのですが、さすがにそこまで(野球が上手くなるために音楽の感性が必要だ等とは)ここで言うつもりはありません。まぁタマにはこうした話も面白いかなと思い、書いたまでです。

ただ、やっぱり音楽に関しては、自分自身が日本人なので、日本の歌がみそ汁と漬け物のように、遺伝子にしみ込んで来る感じはありますけどね。

ただ、日本の歌と言っても、今我々が聞いてる日本の歌はほとんどが西洋音楽の影響を受けたもので、幕末に薩摩と長州の連合軍が江戸に行進しながら歌った「宮さん宮さん」が日本で初めての「和製西洋音楽」だと言われています。また、童謡などは西洋音楽の影響を受けています。

そう考えると、純粋な日本の歌となると織田信長で有名な「人間五十年〜」くらいの感じになるのでしょうか。歌舞伎などで聞かれる歌の感じはマイナーコードのメロディで、インドやアフガニスタン等の中央アジアの昔の歌のような感じで、特有の深みがありますね。完全な脱線ですが。歴史に詳しいと言うより時代劇マニアなので。(笑)

ただ、人間五十年のような歌も、メロディ―ラインで聞かせるようなものでは無いと言う意味では、動画の黒人の歌「K-Ci and JoJo Last Night's Letter」に近いものが有るかもしれませんね。そういう意味では有色人種と白人と言う違いの方が大きい気もします。

黒人音楽を飲み物に例えると「酒」ですね。黒人音楽に慣れてしまうと、他の音楽を聞いた時に何かが足りない感じがしてしまうのです。そうか、アルコールが入ってないじゃないかというわけです。ただ、酒ばかり飲んでいると身体が持たなくなるし、疲れるという感じです。

まぁ、ただ、基本的に英語の曲と言うのは大方「何を言ってるのか解らない」わけで、それは何よりイタいですね。(笑)